理想を求めるのは信仰ではなくて宗教

クリスチャンでも当然、自分の理想を持っている。 自分の置かれる環境に対して、人間関係、教会、そして自分に対しても理想を持つものである。 人間の性質上、当然のことである。 しかし、その自分の理想のために、理想を実現に近づけるため、実現させるために、信仰的と言えることをするのであれば、それは信仰ではなく、宗教である。 ご利益宗教的であり、自分のための行いであり、自分中心の神、教会、聖書、礼拝、奉仕になっている。 とにかく、自分のためなのだ。 まず自分が理想に近づくことができなければ、教会にも聖書にも、奉仕をすることにも、そして神にも価値を見いだせず、見出そうともしない。 この態度は、本当に神と聖書、福音を知っているとは言えない。 信仰は、自分の理想を求めるものではなく、神自身を求めるものだ。 人はどうしても自分を守り、強くしなければならないという恐れがある。 だから誰もが自分のために様々なものやことを求める。 しかし、本当に神とその救いを知ったのなら、それよりもまず神自身を求める。 その理由は、神がその人の必要、心配に思っていることをすべて与えられるからだ。 自分の理想のとおりに与えてもらおうと思う人は、本当に神を知らず、いまだ神を自分のために利用しようとしているだけの関係である。 そのような心の態度がクリスチャンでさえ起ることがある。 しかし、神が本当に私たちを生かし、必要を知って与えてくれることを、本当に知っ…

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自分の思うようにしたい

人間はだれも、自分の人生を自分の思うようにしたいと思っている。 自分の理想、夢を実現させたいと。 限りある人生の期間で、自分の夢を実現させ、理想に少しでも近づけたいと思い、様々な努力をしている。 その努力の中には、正当的なものもあれば、不当なものや悪賢いものもある。 いずれにしても、自分の夢や理想の実現のために努力している。 その努力が報われる場合もあれば、報われない場合もある。 不公平に思えることもある。 しかし、自分の人生のために本当に神に頼る人はどれほどいるだろうか。 宗教に熱心な人や、熱心なクリスチャンもいる。 しかし、そういうこととは少し違う。 自分の努力ではなく、神に本当に頼る、自分の身をゆだねる人のことである。 一生懸命神に自分のことを願い求めることとは異なる。 自分の思うようにしたい、と一生懸命努力したり、一生懸命神に求めることが、むしろその人の本当の人生から遠ざけている場合がある。 本当に大切なものを失っている場合がある。 努力したり神に求めたりすることは否定しない。 しかし、自分が出すぎて、自分の思いや計画や夢や理想が全面的に出て来ていて、それに支配されている。 夢を追いかけて努力して何が悪いのかと言うだろう。 たしかに個人の自由である。 しかし、夢や理想が、神に造られた人間としての在り方を押しのけ、その人の人間としての在り方や人との関係を失わせたり、破壊している場合がある。 熱心なこ…

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結婚を考えている人へ その2

結婚を望んでいる人はだれでも結婚生活に対する希望を持っているものだ。 自分の理想の家庭生活、相手との関係、結婚後の自分の振舞いと相手の自分に対する振舞いなどである。 結婚する相手をそのまま見るよりも、自分の結婚の理想ばかりを見てしまっているケースがある。 おそらく誰しもが結婚生活に対しての理想は持っているが、その理想が自分の中で大きな位置を占めていることがある。 そして、その理想に合う相手と結婚したがる。 結婚すること自体が夢になっている場合や、自分だけの理想の結婚像を抱きつづけている人は一度考えてみてほしい。 自分の理想の相手と結婚しようとすることは、当たり前と言えば当たり前だ。 しかし、相手を自分の理想としている限り、または自分の理想を相手に求めるばかりでは、相手とどのように結婚生活をするかよりもいかに自分の理想の結婚生活ができるかということになる。 それは、二人の結婚生活というより、一人の個人的な理想の実現のための結婚生活と言えよう。 相手がよほどほれ込んでいて、生涯をかけてその人の理想にすべて合わせたいと願っているのなら別である。 しかし、どちらも人間であり、結婚生活はひと時の思いや感情の高まりや意気込みで成り立つものではない。 相手であるその人との結婚というより、自分の理想の結婚生活になると思える人との結婚をした人は、後々こんなはずではなかったとか、相手との関係に問題が生じてくる。 結婚生活の中で、自分の理想を実現させることが、相手よりも重要だ…

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