理想を求めるのは信仰ではなくて宗教
クリスチャンでも当然、自分の理想を持っている。
自分の置かれる環境に対して、人間関係、教会、そして自分に対しても理想を持つものである。
人間の性質上、当然のことである。
しかし、その自分の理想のために、理想を実現に近づけるため、実現させるために、信仰的と言えることをするのであれば、それは信仰ではなく、宗教である。
ご利益宗教的であり、自分のための行いであり、自分中心の神、教会、聖書、礼拝、奉仕になっている。
とにかく、自分のためなのだ。
まず自分が理想に近づくことができなければ、教会にも聖書にも、奉仕をすることにも、そして神にも価値を見いだせず、見出そうともしない。
この態度は、本当に神と聖書、福音を知っているとは言えない。
信仰は、自分の理想を求めるものではなく、神自身を求めるものだ。
人はどうしても自分を守り、強くしなければならないという恐れがある。
だから誰もが自分のために様々なものやことを求める。
しかし、本当に神とその救いを知ったのなら、それよりもまず神自身を求める。
その理由は、神がその人の必要、心配に思っていることをすべて与えられるからだ。
自分の理想のとおりに与えてもらおうと思う人は、本当に神を知らず、いまだ神を自分のために利用しようとしているだけの関係である。
そのような心の態度がクリスチャンでさえ起ることがある。
しかし、神が本当に私たちを生かし、必要を知って与えてくれることを、本当に知っ…