「性格」ではなく「性質」の問題
人の心のうちの感情や思いの問題は、その人の「質」の問題である部分があるようだ。
「性格が悪い」とか「性格がいい」とか言うが、それは、外から、ほかの人々から認識できるやや表面的な人間性のことであろう。
だからそれは、相手への印象となり、先入観となり、固定観念となり、誤解や思い違いの原因にもなる。
またこの性質というのは、相手や周りを意識してある程度演じ切ることができる部分でもある。
優しい性格と言われる人でもあることに対してはひどく怒ることがあり、厳しい性格と言われる人でも思いのほか優しい部分があったりする。
この性格というは、表面に現れ、相手や周りから認識された部分が強いのであり、本人も周りから言われた自分の性格をそのままうのみにして受け取っていることがある。
しかしここには、相手や周りの自分に対する認識と本当の自分、そして自分で認識している自分と自分でも認識しきれていない本当の自分のギャップがあるものだ。
このことで、本当の自分の姿とはどういうものなのかと悩む人も度々いる。
結局は、相手や周り、そして自分が認識している「性格」ではなく、認識しきれていない「性質」の問題ということになる。
いわゆるその人の「質」の部分である。
たとえば同じ野球のバットでも質が異なるものがある。
どちらもボールを打って飛ばすものであり、ある程度の重量があり、硬さがあり、使用法に変わりはない。
しかし、あるバットの質は金属であり、あるバットの品質は…